DAY 001
2026年8月15日(土)

文明が始まった日、列島は森だった

世界史:文明の誕生 日本史:文化の始まり(旧石器・縄文)

世界史(18問)

単元:文明の誕生(人類の進化 〜 農耕の開始と文明の形成)
1基本
約420万年前に現れ、東アフリカ・南アフリカで化石が発見されている、猿人の代表例とされる化石人類は何か。
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解答:アウストラロピテクス
解説:直立二足歩行を行い、礫石器(打ち欠いただけの石器)を用いた。猿人の指標は直立二足歩行であって脳の大きさではない——二足歩行で両手が自由になり、道具の使用と脳の発達がそれに続く、という順序で押さえる。 注意:「猿人→原人→旧人→新人」は進化の段階区分であって一直線の系譜ではない。いくつもの系統が誕生と絶滅を繰り返し、旧人と新人が共存した時期もあった。
2発展
2001年にアフリカ中央部のチャドで化石が発見された、約700万年前の最古の人類とされる化石人類は何か。
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解答:サヘラントロプス
解説:頭骨の形から直立二足歩行をしていた可能性が高いとされ、現在の教科書が「最古の人類」として挙げる例。発見地の言葉で「生命の希望」を意味するトゥーマイの愛称でも知られる。「東アフリカの大地溝帯でのみ人類は誕生した」と限定する記述は、チャド(中央アフリカ)出土のこの化石と合わない誤文になる。
3基本
ハンドアックス(握斧)などの発達した打製石器だせいせっきを作り、火や言語を使い始めたとされる、ジャワや北京で化石が発見された人類に代表される進化の段階を何というか。
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解答:原人(ホモ=エレクトゥス)
解説:約240万年前以降に現れ、アフリカから初めてユーラシアへ拡散した段階。 誤答注意:打製石器だせいせっきそのものは猿人段階(礫石器)から用いられている。原人の指標は「打製石器だせいせっきの使用」ではなく、ハンドアックスなどより発達した石器と、火・言語の使用である。
4基本
ドイツの谷の名にちなんで呼ばれる旧人の代表例で、剝片石器を用い、死者を埋葬する風習をもったとされる化石人類は何か。
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解答:ネアンデルタール人
解説:毛皮の衣服や火を使って氷期の寒冷なヨーロッパ・西アジアを生きのび、死者の埋葬は「死後」を観念する精神文化の芽生えとされる。旧人と新人は長く共存しており、「旧人が進化して新人になった」という単線の理解は誤文パターン。今日の裏話コラムでこの続きを扱う。
5基本
南フランスで化石が発見された、新人(現生人類)の代表例とされる化石人類は何か。
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解答:クロマニョン人
解説:新人はホモ=サピエンスに属し、約20万年前(教科書によっては約30万年前)にアフリカで出現して全世界へ広がった。骨角器こっかくきを使い、洞穴絵画や彫像を残したのがこの段階。中国の例は周口店上洞人——北京原人(周口店第1地点)との出土地の混同を誘う誤文に注意。
6基本
新人が残した洞穴絵画の代表的な遺跡を、(1)フランス南西部、(2)スペイン北部から1つずつ挙げよ。
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解答:(1) ラスコー (2) アルタミラ
解説:〈ラスコー=フランス/アルタミラ=スペイン〉の国名の入れ替えが定番の誤文。牛・馬・鹿などの狩りの獲物が躍動的に描かれ、狩猟の成功を祈る呪術じゅじゅつのためとする説が有力。ラスコーは1940年、アルタミラは1879年の発見で、発見当初のアルタミラは「新人にこんな絵が描けるはずがない」と本物と信じてもらえなかった。
7発展
後期旧石器時代のヨーロッパの遺跡からは、乳房や腰を誇張した小さな女性の彫像が出土する(オーストリアのヴィレンドルフ出土例が有名)。(1) このような彫像は一般に何と呼ばれるか。(2) その誇張した造形は、どのような祈りと結びつくと考えられているか、簡潔に述べよ。
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解答:(1) 女性裸像(ヴィーナス) (2) 多産や豊穣(獲物・食料の豊かさ)を祈る呪術じゅじゅつと結びつくと考えられている。
解説:オーストリアのヴィレンドルフ出土例が有名。洞穴絵画と並ぶ後期旧石器時代の呪術じゅじゅつ的遺物で、「新人段階から呪術じゅじゅつ的な信仰が現れた」ことを示す例として正誤問題に出る。のちに学ぶ日本列島の縄文時代の土製品と発想が通じる点も、比較の論点として面白い。
8基本
狩猟や採集など、自然界にある食料を手に入れて生活する経済のあり方を何というか。
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解答:獲得経済
解説:〈獲得経済=旧石器時代〜/生産経済=農耕・牧畜の開始以降〉という対応で押さえる。ただし農耕が始まったのちも狩猟・採集は続いており、「生産経済の開始とともに狩猟採集は行われなくなった」という誤文が定番。二つの経済は長く併存した。
9基本
約1万年前に最後の氷期が終わって温暖化した、現在まで続く地質学上の時代を何というか。
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解答:完新世
解説:氷期と間氷期が繰り返された更新世のあとに続く温暖期。氷河がとけて海面が上昇し、大陸の形が現在に近づいた。〈更新世=旧石器時代〉〈完新世=農耕・牧畜の開始以降〉という地質と考古の対応が正誤問題の急所。温暖化による植生と動物相の変化が、次の設問の大転換の背景になる。
10基本
農耕と牧畜の開始によって、人類が食料を自らつくり出すようになった歴史的な転換を何と呼ぶか。
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解答:食料生産革命(新石器革命)
解説:西アジアでは約9000年前までに麦類の栽培とヤギ・羊・牛などの飼育が始まったとされる(開始年代には研究の幅がある)。考古学者ゴードン=チャイルドはこの転換を「新石器革命」と名づけた。定住の本格化・人口増加・貧富の差の発生と、のちの国家形成の出発点になる。
11発展地図
ABCユーフラテス川(模式)ティグリス川(模式)地中海ペルシア湾彩色の帯=設問(1)の地域(範囲は模式)● B・C=初期農耕遺跡※海岸線は実測データ(簡略化)。帯域・河川の流路は模式
図は西アジアの略地図である。(1) 彩色の帯Aで示した、農耕と牧畜が最初に始まったとされる弧状の地域は何と呼ばれるか。(2) 図中の初期農耕遺跡のうち、B(ヨルダン川流域・死海の北)と C(イラク北東部の山麓)の遺跡名をそれぞれ答えよ。
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解答:(1) 肥沃な三日月地帯 (2) B=イェリコ C=ジャルモ
解説:地中海東岸からザグロス山麓へ弧を描く、冬に雨の降る地域。雨があるからこそ農耕がここで始められた——「大河のほとりで農耕が始まった」は誤文で、乾燥した大河下流の開発は灌漑技術の発達を待たねばならない。イェリコは城壁をもつ最古級の農耕集落、ジャルモは麦の栽培の跡を示す初期農耕村落として覚える。
12基本
農耕と牧畜が始まった時代に作られた、彩色文様をもつ土器を何というか。
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解答:彩文土器(彩陶さいとう)
解説:磨製石器ませいせっきとともに農耕開始期の文化を特徴づける遺物で、西アジアから広い範囲に分布し、中国の仰韶文化ぎょうしょうぶんかの彩陶さいとうが代表例。土器は「煮る・貯える」を可能にした道具で、食料生産と定住のセットで問われる。〈打製石器だせいせっき・獲得〉から〈磨製石器ませいせっき・土器・生産〉への転換の指標として覚える。
13発展
初期の農耕のように、灌漑を行わず雨水だけに頼って作物を栽培する農法を何というか。
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解答:乾地農法
解説:初期の農耕は、冬雨のある山麓地帯で雨水に頼る乾地農法だった。やがてティグリス・ユーフラテスなどの大河流域で灌漑農業が発達すると、乾燥した沖積平野が一大穀倉地帯に変わり、人口が急増して文明の土台となる。〈山麓=乾地農法 → 大河流域=灌漑農業〉という舞台の移動が、この単元の背骨である。
14発展
大河流域で灌漑農業が発達したことは、それまで比較的平等だった人々の社会をどのように変えたか。「余剰」の語を用いて簡潔に説明せよ。
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解答:灌漑農業による生産力の向上で余剰の生産物が生まれ、その管理・分配や灌漑工事の指揮を通じて貧富の差と支配・被支配の関係(階級)が生じ、神殿などを中心に人口が集中して都市が形成され、国家が形づくられていった。
解説:「余剰が権力を生む」という因果は、この先どの地域の文明史でも繰り返し使う道具になる。共通テストでは「農耕の開始と同時に国家が成立した」と時間を飛ばす誤文が出る——農耕の開始(約9000年前)から都市文明の成立(約5000年前)まで、数千年の助走があることに注意。
15基本
前3000年頃までに西アジアで実用化され、武器や祭器などに使われた最初の本格的な金属器を何というか。
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解答:青銅器
解説:銅と錫の合金で、石器より鋭く加工しやすい。原料の入手も製作の技術も限られるため支配層が独占し、身分差を象徴する器物にもなった。金属器の普及は〈青銅器→鉄器〉の順——「鉄器が先」はありえない誤文。専門の職人の分化は、社会の複雑化を示す指標でもある。
16基本
文字による記録が残る時代を歴史時代と呼ぶのに対し、文字の発明以前の時代を何と呼ぶか。
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解答:先史時代
解説:区分の基準は「文字記録の有無」。先史時代の研究はもっぱら考古学が、歴史時代は文献史学と考古学が担う。歴史時代への入り方は地域によって数千年単位でずれる——メソポタミアが前3000年頃に文字を持つ一方、日本列島が本格的な文字記録の時代に入るのは、はるかにのちのことである。
17基本
皮膚の色や骨格など身体的特徴による人類の区分を人種と呼ぶのに対し、言語・宗教・生活様式など文化的特徴による区分を何というか。
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解答:民族
解説:〈人種=身体の形質/民族=言語や文化〉という軸の違いを対で覚える。現在では、人種を生物学的に明確に区分することはできず、優劣の根拠にもならないことが強調される。「人種と民族の範囲は一致する」という誤文が定番——同じ民族に多様な身体的特徴の人々が含まれうる。
18発展
同じ系統の言語を話す人々のまとまりを何と呼ぶか。また、英語・ペルシア語・ヒンディー語などが属する、ヨーロッパから南アジアに広がる系統の名称を答えよ。
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解答:語族/インド=ヨーロッパ語族
解説:語族は言語の系統によるまとまりで、オリエント史ではアラビア語・ヘブライ語などを含むセム語派(アフロ=アジア語族)も頻用する。「語族=血縁集団」ではない点に注意——言語は乗り換えられるので、語族と人種・民族の範囲は一致しない。この整理は次回以降のオリエントの民族の入れ替わりを追う土台になる。

日本史(13問)

単元:文化の始まり(旧石器・縄文)(更新世の列島と旧石器文化)
19基本
人類が日本列島に渡ってきた更新世は、寒冷な氷期と比較的温暖な間氷期が交互に繰り返されたことから、一般に何と呼ばれるか。
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解答:氷河時代
解説:更新世は約260万年前から約1万年前まで。氷期には海面が現在より100m以上も低下し、日本列島は大陸とほぼ地続きになって、動物とそれを追う人類が渡ってきた。〈更新世=氷河時代=旧石器時代〉〈完新世=温暖化=縄文時代以降〉という地質・考古の対応表をまず作ること。
20基本
氷期に大陸から日本列島へ渡ってきた大型動物のうち、南方系のものを2つ挙げよ。
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解答:ナウマンゾウ/オオツノジカ(トウヨウゾウも可)
解説:北方系はマンモス・ヘラジカで、おもに北海道に分布した。特にマンモスは津軽海峡を越えて本州へ渡らなかったとされ、この境界が現在の動物分布境界ブラキストン線とほぼ重なる点も、地理と結びつけて押さえたい。〈南方系=ナウマンゾウ・オオツノジカ=本州以南/北方系=マンモス=北海道〉の対で覚える。
21基本
長野県北部の湖の底から、大型動物の化石骨と打製石器だせいせっき・骨器がともに出土し、旧石器人による狩猟・解体の場と考えられている遺跡は何か。
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解答:野尻湖のじりこ遺跡(立が鼻遺跡)
解説:野尻湖のじりこの湖底発掘では、ナウマンゾウやオオツノジカの化石と道具が同じ場所から見つかった。動物化石だけなら自然の堆積でもありうるが、道具と一緒に出ることが人の関与の証拠になる——この「共伴」の論理は考古資料の読み取り問題の基本形として覚えておきたい。
22基本
日本列島で発見された更新世の化石人骨のうち、(1) 静岡県で発見されたもの、(2) 沖縄島(本島)南部で発見され、ほぼ完全な全身骨格を含むものの名称をそれぞれ答えよ。
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解答:(1) 浜北人はまきたじん (2) 港川人みなとがわじん
解説:更新世の人骨は、酸性土壌の本州ではほとんど残らず、骨を保存しやすい石灰岩地帯(静岡・沖縄)に集中する。いずれも新人段階で、日本列島では原人・旧人段階の確実な人骨は発見されていない——「明石原人」を確実な原人の例とする記述は誤り(資料が失われ、現在は検証できない)。
23基本史料
表土・黒土の層(土器などを含む) X=赤土の層(火山灰の堆積) ▲=打製石器の出土位置 新 古 ※模式図。実際の地層はさらに細かく分かれる
図は、群馬県のある遺跡の発掘調査で確認された地層の模式断面図である。(1) 図中Xの、関東地方の台地を広く覆う赤土の層(火山灰の堆積)を何と呼ぶか。(2) Xは土器の時代よりも古い地層である。この層の中から打製石器だせいせっきが出土したことが証明した事実を、簡潔に説明せよ。
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解答:(1) 関東ローム層 (2) それまで存在しないと考えられていた、土器出現以前の旧石器文化(更新世の人類の生活)が日本列島にもあったこと。
解説:関東ローム層は富士山・箱根山などの火山灰が更新世に降り積もった赤土の層。「土器を含まない古い層から石器が出た」という地層の上下関係(層位)の論理が証明のすべてだった。層の新旧から遺物の新旧を推定する方法は、考古資料の読み取り問題の基本として頻出する。
24基本
1946年、群馬県新田郡笠懸村(現・みどり市)の切通しの崖の赤土層中から打製石器だせいせっきを発見し、1949年の本格的な発掘調査へ道をひらいた在野の研究者と、この遺跡の名称を答えよ。
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解答:相沢忠洋あいざわただひろ/岩宿いわじゅく遺跡
解説:相沢忠洋あいざわただひろは納豆の行商をしながら独学で遺跡を歩いた研究者。発見した石槍を携えて研究者を訪ね歩き、1949年の明治大学による岩宿いわじゅく遺跡の発掘調査につながった。〈1946年発見・1949年調査〉〈在野の発見と大学の調査〉という二段構えで覚えると誤文に強い。
25発展
一つの石核から、規格のそろった縦長の剝片を連続してはぎ取り、石器の素材とする後期旧石器時代の技術を何というか。
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解答:石刃せきじん技法
解説:打ち欠くたびに形の違う石器を作る段階から、「同じ規格の素材を量産する」段階への飛躍で、後期旧石器時代の指標とされる。はぎ取った縦長の剝片(石刃せきじん)はそのまま刃物になり、次の設問の石器の素材にもなった。「規格品の量産」という発想の芽生えとして押さえる。
26基本
縦長の剝片の縁に刃つぶしの加工を施して作られ、切る・刺すなど汎用の刃物として日本列島の後期旧石器時代に広く用いられた打製石器だせいせっきを何というか。
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解答:ナイフ形石器
解説:九州から東北まで列島の広い範囲に分布する、日本の後期旧石器の主役。石器の変遷は〈ナイフ形石器→尖頭器せんとうき→細石器さいせっき〉の順で、この整序は定番の出題。地域ごとに形の流儀が分かれることから、当時すでに集団ごとの文化圏があったと考えられている。
27基本
木や骨の柄の先端に装着し、槍の穂先として大型獣の狩りに用いられた、両面を加工した打製石器だせいせっきを何というか。
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解答:尖頭器せんとうき(ポイント)
解説:ナイフ形石器より遅れて広まった狩猟用の石器で、岩宿いわじゅく遺跡の発掘調査のきっかけとなった、相沢忠洋あいざわただひろが1949年夏に発見した石槍も黒曜石こくようせき製の槍先形尖頭器せんとうきである。三器種は役割で整理する——〈ナイフ形=汎用の刃物/尖頭器せんとうき=槍先/細石器さいせっき=はめ込み式の替え刃〉。役割の入れ替えを誘う誤文に注意。
28基本
後期旧石器時代の終わり頃に登場した、木や骨の軸の溝に多数はめ込んで刃とした、小型で規格的な石器を何というか。
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解答:細石器さいせっき(細石刃せきじん)
解説:小型化・規格化が進んだのは、氷期の終わりの環境変化で獲物が大型獣から中小の動物へ移り、軽くて直しやすい道具が求められたためとされる。東日本の細石刃せきじん文化はシベリアの細石刃せきじん文化とつながり、北海道経由で列島へ広まったとされる点も頻出(西日本には別系統の細石器さいせっき文化があった)。刃が欠けても、その部分だけ差し替えられるのが利点。
29発展
日本列島の後期旧石器時代の遺跡から出土する、刃の部分だけを磨いて仕上げた石斧を何というか。
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解答:局部磨製石斧きょくぶませいせきふ
解説:長野県などの約3万年以上前の遺跡から出土し、磨いて石器を仕上げる技法の例として世界的にも最古級とされる。「磨製石器ませいせっきは農耕開始以降の技術」という世界史側の公式が、列島では部分的に崩れることを示す好例で、正誤問題の急所。ただし全面を磨く磨製石器ませいせっきの一般化は、次の時代を待つ。
30発展
旧石器時代の人々の住まいと生活のあり方を、食料をどのように得ていたかとの関係にふれて、簡潔に説明せよ。
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解答:大型獣などの獲物や植物性の食料を求めて移動を繰り返す生活を送り、テント式の小屋や岩陰・洞穴を一時的な住まいとして、少人数の集団で暮らした。
解説:「旧石器時代に定住集落が営まれた」は定番の誤文——本格的な定住と貯蔵は次の時代の話である。移動生活だからこそ道具の軽量化・規格化(細石器さいせっき化)が進む、という因果でつなげると記憶が安定する。住まいの遺構が残りにくいため、生活の復元は石器の分布から推定されている。
31発展地図
A和田峠太平洋● A=設問の島(黒曜石の原産地)▲ 和田峠=黒曜石の原産地(参考)矢印=黒曜石が運ばれた方向(模式)※海岸線は実測データ(簡略化)。矢印は模式で、実際の経路を示すものではない
図中A(伊豆諸島の島)で産出した黒曜石こくようせきは、本州の後期旧石器時代の遺跡から出土している。(1) Aの島の名称を答えよ。(2) このことから読み取れる、旧石器時代の人々がもっていた能力を簡潔に述べよ。
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解答:(1) 神津島こうづしま (2) 海をへだてた島まで往復する渡海(航海)の能力をもっていたこと。
解説:神津島こうづしまは本州から約50km、海面が低下した氷期でも約40kmの外洋に隔てられ、約3万年前の関東の遺跡から神津島こうづしま産黒曜石こくようせきが出土することは世界最古級の往復航海の証拠とされる。ただし当時の舟は見つかっておらず、渡海の手段は未解明。黒曜石こくようせきは産地ごとに成分が異なり、蛍光X線分析などで産地を特定できる——「なぜ産地がわかるのか」まで問われる。

コラム|歴史の裏話

絶滅した人類は、絶滅していない

ネアンデルタール人は今から4万年前ごろまでに姿を消したとされる。教科書の記述はそこで終わる。だが2010年、スウェーデンの遺伝学者スヴァンテ・ペーボらのチームが、数万年前の骨からゲノムを復元して現代人と読み比べ、驚くべきことを発見した。アフリカ以外にルーツをもつ現代人のDNAには、ネアンデルタール人に由来する配列が1〜4%ほど含まれていたのである。

出アフリカを果たしたホモ=サピエンスは、西アジアのどこかで先住の旧人と出会い、交わっていた。「旧人と新人は共存した時期がある」という教科書の一文は、共存どころか混血までしていたという発見に支えられている。つまり、彼らは完全に絶滅したのではない。その一部は、いまこの文章を読んでいる私たちの細胞の中で生き続けている。

古い骨からDNAを読むこの研究分野(古代ゲノム学)を切りひらいたペーボは2022年のノーベル生理学・医学賞を受けた。受験知識の一行の裏に、人類の定義を揺さぶる発見が畳み込まれている。

コラム|世界史 ↔ 日本史

麦が蒔かれたとき、土器はもう列島にあった

世界史の公式では、〈磨製石器ませいせっき・土器・農耕〉は新石器時代のセットとして登場する。ところが日本列島に当てはめると、この公式は崩れる。並べてみよう。

4万年前 3万年前 2万年前 1万年前 5000年前 旧石器時代 縄文時代 移行帯=土器の出現から縄文文化の成立へ (約1万6000〜1万3000年前ごろ・年代には諸説) 洞穴絵画 ラスコーなどの洞穴絵画の時代(約2万〜1万5000年前) 農耕・牧畜の開始 西アジアで麦の栽培・ヤギや羊の飼育(約9000年前) 都市文明の形成 メソポタミアで都市と文字が生まれる(約5000年前) 神津島産黒曜石の渡海(約3万年前) 港川人(約2万年前・沖縄) 麦の栽培が始まったころ、列島はすでに土器の時代 世界史(今日の範囲とその先) 日本列島 ※横軸は「今から何年前」の実時間スケール。年代はいずれも概数

列島の土器は、西アジアで麦の栽培が始まるより数千年も早い。世界最古級の土器をもちながら、列島は農耕へ急がなかった——土器は「畑の道具」としてではなく、森と海の恵みを煮て食べるための道具として使われ続けた。〈技術の登場順は世界共通〉と思い込むと足をすくわれる。順序は環境が決める、という視点はそのまま論述のネタになる。

フィールドノート

なぜ、わざわざ海を渡って石を取りに行くのか

今日の設問の最後で、旧石器人が数十キロの外洋を渡って神津島こうづしまの黒曜石こくようせきを手に入れていたことを見た。受験の答案では「往復航海の証拠」と書けば正解になる。だが人類学は、そこで一度立ち止まる。黒曜石こくようせきの切れ味は確かに別格だが、刃物を作るだけなら、近くのチャートや安山岩でも用は足りる。命がけの渡海に見合う「効率」があったのかは、実は自明ではない。効率で説明のつきにくい行動には、たいてい別の論理がある。

人類学者マルセル・モース(大森貝塚を発掘した動物学者E・S・モースとは別人である)が『贈与論』で示したのは、交換とは単なるモノの受け渡しではなく、関係の締結だということだった。贈られた側は返す義務を負い、返せば相手がまた負う。決済されない貸し借りが続くこと自体が、集団と集団をつなぎとめる。マリノフスキが記録したトロブリアンド諸島のクラ交易では、首飾りと腕輪が島から島へ何年もかけて回り続ける。実用価値はほとんどない。回すことに意味がある。

この目で見直すと、遠い島の黒曜石こくようせきが内陸の遺跡から出るという事実は色が変わる。それは「原始的な物流網」の痕跡ではなく、遠さそのものを価値に変える仕組みだったのかもしれない。遠い石を持っていることは、遠くの人とつながっていることの証明になる。

そして今日の世界史とつなぐなら、ここに分岐点がある。農耕が始まった西アジアでは、富はやがて溜めて数えるものになり、余剰が階級と国家を生んだ。列島では、富は長いあいだ回して返すものであり続けたのかもしれない。国家が生まれるかどうかを分けたのは、豊かさの有無ではなく、豊かさの扱い方だった——そう見立てると、今日の二つの科目は一つの問いになる。

今日の鍵語:モース『贈与論』/互酬性/マリノフスキとクラ交易 *「余剰=国家の起源」という図式には反論も多い。ピエール・クラストルは、国家を持たない社会は遅れているのではなく国家を拒んでいるのだ、と論じた(『国家に抗する社会』)。この論点はまた別の日に。

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高校歴史探究・大学受験レベル|Day 001