DAY 002
2026年8月2日(日)

海を渡る文字、道を敷く帝国、森に祈る人々

世界史:古代オリエント文明とその周辺(民族と統一) 日本史:文化の始まり(旧石器・縄文)その2

世界史(16問)

単元:古代オリエント文明とその周辺(東地中海の諸民族 〜 オリエントの統一)
1基本
前17世紀頃からアナトリア(小アジア)に興り、馬引き戦車を駆使して前16世紀にバビロン第1王朝を滅ぼした国は。
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解答:ヒッタイト
解説:早くから鉄器を利用したことで知られる国(近年の研究では製鉄の独占や軍事的優位は疑問視されている)。エジプト新王国のラメス2世とカデシュの戦い(前13世紀)で衝突し、のちに現存最古級の国際条約を結んだ。前12世紀頃「海の民」の混乱などの中で崩壊し、この前1200年頃を境に、鉄器の使用がオリエント各地へ本格的に広まっていく。
2発展
前16〜前14世紀頃、北メソポタミアからシリア北部にかけて栄え、エジプト新王国と外交関係を結んだ王国は何か。
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解答:ミタンニ(王国)
解説:ミタンニはヒッタイト・エジプト新王国と並ぶこの時代の有力勢力の一つ。エジプトのアマルナで発見された外交文書(アマルナ文書)にはミタンニ王家とエジプト王家の書簡も含まれ、当時の国際関係を伝える一次史料として重視される。
3発展
ハンムラビ王のバビロン第1王朝滅亡後、メソポタミアに進入して長くバビロニアを支配した山岳民系の王朝は何か。
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解答:カッシート(王国)
解説:カッシートは前16世紀頃バビロンを占領し、以後約400年にわたりバビロニアを支配した。ハンムラビ王で最盛期を迎えたバビロン第1王朝が、ヒッタイトの侵攻とカッシートの進入によって幕を閉じた、という滅亡の流れをセットで押さえたい。
4基本
ダヴィデ王・ソロモン王のもとで栄えた王国は、ソロモン王の死後(前922年頃)南北に分裂した。北の王国と南の王国の名をそれぞれ答えよ。
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解答:北=イスラエル王国、南=ユダ王国
解説:ダヴィデ・ソロモン両王の時代がヘブライ王国の最盛期。分裂後、北のイスラエル王国は前722年にアッシリアに、南のユダ王国は前586年(前587年とする説も有力)に新バビロニアに滅ぼされバビロン捕囚を経験した。「北イスラエル・南ユダ、先に滅ぶのは北」と方角と滅亡順序をセットで覚えると年代整理に強くなる。なお分裂年の「前922年頃」は教科書で広く使われる値で、学術的には前931/930年頃とする説が有力である。
5発展史料
【史料】エジプトを脱し、指導者に率いられて「約束の地」を目指したと伝えられる民族についての物語が、のちに聖典としてまとめられた。 出典:『旧約聖書』「出エジプト記」に伝わる伝承にもとづく要約(「旧約聖書」はキリスト教側からの呼称)
この民族は何と呼ばれるか。
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解答:ヘブライ人
解説:ヘブライ人はモーセに率いられエジプトを脱出したと伝えられる(出エジプト)。 時期注意:唯一神ヤハウェへの信仰を核とするユダヤ教が、選民思想やメシア(救世主)信仰を伴う形で成立するのはバビロン捕囚を経た前6世紀以降。出エジプトの時点にユダヤ教の成立を置くのは前倒しの誤り。
6発展
新バビロニア王国の王で、ユダ王国を滅ぼし住民を強制移住させたことで知られる王は誰か。
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解答:ネブカドネザル2世
解説:前586年にユダ王国を滅ぼしてイェルサレムを破壊し、住民をバビロンに連行した。この事件が「バビロン捕囚」で、前538年にアケメネス朝のキュロス2世が解放するまで続く。捕囚の苦難がヘブライ人の民族的自覚を強めた。
7発展地図
肥沃な三日月地帯 地中海 黒海 カスピ海 ペルシア湾 A B C A=地中海東岸(シリア・パレスチナ沿岸) B=ティグリス・ユーフラテス下流 C=ナイル下流 ※海岸線は実測データ(簡略化)。河川・三日月地帯の範囲は概略。現代の国境線は含まない
地図中Aを拠点とし、シドン・ティルスなどの都市国家から地中海全域へ乗り出して海上交易を独占した民族は。また、彼らの文字がのちにヨーロッパの文字体系の母体となったが、その文字は。
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解答:民族:フェニキア人/文字:フェニキア文字(22の子音字からなる表音文字)
解説:同じA地域には、内陸の中継貿易を担ったアラム人(アラム文字は東へ伝わりソグド文字・ウイグル文字・モンゴル文字の祖に)とヘブライ人も暮らした。「フェニキア=海・西へ/アラム=陸・東へ」で対にすると一気に整理できる。北アフリカの植民市カルタゴはティルスが建てたもので、のちにローマとポエニ戦争を戦う。
8基本
フェニキア人が北アフリカに建設した代表的な植民市はどこか。
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解答:カルタゴ
解説:フェニキア人は地中海貿易で活躍し、アルファベットの起源となる表音文字を各地に広めた。カルタゴはその代表的植民市で、のちにローマと激突するポエニ戦争の当事国となる。同じ東地中海のアラム人が内陸中継貿易とアラム文字を担った点と対比しておきたい。
9基本
シリアのダマスクスを中心に前12〜前8世紀頃、内陸中継貿易で活躍したセム語系の民族は何か。またその文字は東方に伝わり、各種文字の起源の一つとなった。
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解答:アラム人
解説:内陸貿易のアラム人と、海上貿易のフェニキア人を対で覚えるとよい。フェニキア文字はギリシア文字を経て地中海方面のアルファベットの祖に、アラム文字はソグド文字などの祖となり中央アジア・東方へ伝わった。「海はフェニキア、陸はアラム」で伝播方向を区別する。
10基本史料
次はヘロドトス『歴史』の一節の現代語訳(要旨)である。空欄に入る国名を答えよ。
「われわれの知るかぎり、[  ]人は初めて金や銀の貨幣を鋳造して用いた人々である。」
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解答:リディア(人)
解説:リディアは小アジア西部の国で、都サルデスを中心に前7世紀頃、世界最古とされる鋳造貨幣(エレクトロン貨、金銀の合金)を発行した。同じ頃イラン系のメディアも台頭したが、ともにのちアケメネス朝のキュロス2世に征服される。「最古の貨幣=リディア」は頻出。
11基本
前7世紀前半、全オリエントを最初に統一した国家はどこか。首都ニネヴェで知られる。
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解答:アッシリア(アッシリア王国)
解説:アッシリアは鉄製武器・戦車・騎兵を用いて領土を広げ、前7世紀前半に全オリエントを統一した。征服地を州に分けて総督を派遣し、駅伝制で結んで統治したが、服属民への圧政もあって統一は長続きせず、前612年にニネヴェが陥落して滅んだ。 誤答注意:「西アジアを統一」ではなくエジプトを含む「全オリエントを統一」が正確。また駅伝制は征服の手段ではなく統治の手段である。
12発展
前7世紀にオリエントを最初に統一した国が、その原動力とした、鉄製武器・戦車・騎馬とともに整備された、幹線道路に宿駅を置く通信・交通の制度を何というか。
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解答:駅伝制
解説:アッシリアは鉄製武器による軍事力と駅伝制による情報伝達・支配の効率化によってオリエント初の統一を達成した。しかし征服地への強圧的支配は反発を招き、統一後まもなく崩壊した点も対比したい。のちのアケメネス朝「王の道」の駅伝制はこれを継承・発展させたもの。
13基本
アケメネス朝ペルシアを建国し、新バビロニアを滅ぼした王は誰か。
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解答:キュロス2世
解説:キュロス2世はメディアから自立してアケメネス朝を建国し、前538年に新バビロニアを滅ぼしてオリエントの大部分を統一した(学術年代ではバビロン入城は前539年10月。教科書は捕囚民解放の年として前538年を採る)。バビロン捕囚下のヘブライ人を解放したことでも知られ、被征服民の宗教に寛容な統治が特徴とされる。
14発展地図
【地図】略地図中の2都市を結ぶ幹線道路(王の道)を整備し、宿駅の制度を敷いた、アケメネス朝最盛期の王は誰か。
地中海 黒海 カスピ海 ペルシア湾 王の道(約2400km・徒歩約90日) サルデス (旧リディアの都・小アジアの州都) ニネヴェ(旧アッシリア都) スサ ペルセポリス ※海岸線は実測データ(簡略化)。国境線は現代のものを含まない。経路は概略
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解答:ダレイオス1世
解説:ダレイオス1世は全国を約20の州に分け、各州にサトラップ(知事)を派遣し、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官に監視させた。都スサと小アジアのサルデスを結ぶ「王の道」を整備し、駅伝制で情報伝達を高速化した。中央集権的な統治機構の完成者として頻出。 頻出の誤答二つ:①サトラップは「州」ではなく「知事(総督)」その人を指す。②サルデスは都ではない。旧リディアの都で、アケメネス朝下では小アジアの州都。アケメネス朝の行政の中心はスサ、儀礼の都はペルセポリス(パサルガダエ・エクバタナ・バビロンにも王都機能をもつ複都制)。
15発展
アケメネス朝で厚く信仰された、光明神アフラ=マズダと悪神アーリマンの善悪二元論を特徴とし、最後の審判の思想でも知られる宗教は何か。
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解答:ゾロアスター教
解説:ゾロアスター(教祖)が開いたとされ、火を神聖視するため拝火教とも呼ばれる。善悪二元論・最後の審判・天国と地獄の思想は、のちのユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の終末観にも影響を与えたとされる点が頻出の論点。
16発展
19世紀、イラン西部の断崖に刻まれた三言語併記の碑文をもとに楔形文字を解読したイギリス人は。また、その碑文の名は。
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解答:ローリンソン/ベヒストゥーン碑文
解説:碑文はアケメネス朝のダレイオス1世が自らの即位の正当性を刻ませたもので、古代ペルシア語・エラム語・アッカド語の3言語併記。〈ヒエログリフ=シャンポリオン/ロゼッタ=ストーン〉と〈楔形文字=ローリンソン/ベヒストゥーン碑文〉は必ずセットで覚える。どちらも「読める言語が並記されていた」ことが鍵だった。

日本史(11問)

単元:文化の始まり(旧石器・縄文)その2
17基本
更新世の日本列島は氷期に海面が低下し、大陸とどのような状態にあったか。
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解答:陸続き(陸橋でつながっていた)
解説:更新世は氷期と間氷期を繰り返し、氷期には海面が現在より大きく低下して大陸と陸続きになった。南からナウマンゾウ・オオツノジカ、北からマンモス・ヘラジカが渡ってきたのはこのため。ただし対馬海峡が完全に陸化したかは学説が分かれる。
18基本
更新世の化石人骨のうち、静岡県で発見されたものと沖縄県で発見されたものをそれぞれ何というか。
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解答:浜北人・港川人
解説:浜北人は静岡県浜北(現・浜松市)、港川人は沖縄県の港川フィッシャー遺跡で発見された更新世末の化石人骨。港川人は複数個体分が出土し、ほぼ全身の骨格が復元された個体(港川1号)を含む。沖縄県では山下町第一洞人・白保竿根田原洞穴人も押さえておきたい。
19基本
旧石器時代、両面から加工して作られた木の葉形の石器を何というか。
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解答:尖頭器
解説:尖頭器は槍先などに用いられた両面加工の石器。日本列島の旧石器時代の打製石器は、ナイフ形石器→尖頭器→細石器へと変化した。 注意:ナイフ形石器・尖頭器・細石器はいずれも打製石器であり、「打製石器→ナイフ形石器」という並べ方は分類として誤り。また日本列島の旧石器時代はほぼ全体が後期旧石器時代にあたる。
20基本
長野県の湖の湖底から、ナウマンゾウ・オオツノジカの化石群と打製石器・骨器とされるものがともに出土し、旧石器人による大型動物の狩猟・解体の場と考えられている遺跡は何か。
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解答:野尻湖遺跡(長野県)
解説:野尻湖遺跡(野尻湖底遺跡)はナウマンゾウ・オオツノジカの化石とともに石器や骨器とされるものが出土し、旧石器人の狩猟活動を示す遺跡として知られる。岩宿遺跡(相沢忠洋が関東ローム層中から打製石器を発見)とセットで覚えておきたい。
21発展
約1万年余り前、更新世から完新世へ移行すると、日本列島の自然環境は大きく変化した。この変化を「海面」と「植生」の両面から簡潔に説明せよ。
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解答:温暖化により海面が上昇して列島が大陸から切り離され、ほぼ現在の日本列島が成立した。植生は東日本に落葉広葉樹林、西日本に照葉樹林が広がった
解説:樹種まで問われることがある:東日本はブナ・ナラなどの落葉広葉樹林、西日本はシイなどの照葉樹林。この植生の東西差が食料資源の多様化を生み、縄文文化成立の土台となった。
22基本
縄文土器の型式変化にもとづく縄文時代の時期区分(6期)を、古いほうから順にすべて挙げよ。
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解答:草創期・早期・前期・中期・後期・晩期
解説:縄文土器は文様や形式の変化から6時期に区分され、これがそのまま「縄文時代」の時期区分としても用いられる。旧石器時代との違いとして、土器の使用(煮炊き・貯蔵)が指標となる点も重要。
23基本
縄文時代、狩猟に使われるようになった飛び道具と、骨・角・牙を加工して作った道具を、それぞれ何というか。
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解答:弓矢/骨角器
解説:弓矢の使用により中小動物の狩猟が効率化し、骨角器(釣針・銛・やすなど。装身具も含む)の発達により漁労が本格化した。旧石器時代の大型動物中心の狩猟から、中小動物・漁労・採集を組み合わせた多様な食料獲得へ転換した点が対比のポイント。
24基本
縄文時代の人々があらゆる自然物に霊威を認めた信仰を何というか。
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解答:アニミズム
解説:アニミズムは山・川・動植物など自然物に霊が宿ると考える信仰形態で、土偶や石棒などの呪術的な遺物もこの信仰と結びつくと考えられている。抜歯・屈葬といった習俗も、呪術的な観念と関連づけて理解したい。
25基本
竪穴住居が中央の広場を囲むように円形に配置された集落形態を何というか。
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解答:環状集落
解説:環状集落は縄文前期に成立し、中期にかけて関東・中部を中心に隆盛した形態で、中央の広場(墓域を伴うこともある)を住居が同心円状に囲む。加曽利貝塚(千葉県)などが代表例。共同体としてのまとまりや祭祀空間の存在を示すとされる。 注意:三内丸山遺跡(青森県)は環状集落の典型例ではない。長い道路の両側に墓が並び、大型掘立柱建物や貯蔵穴が機能ごとに配置された大規模拠点集落であり、別の類型として区別したい。
26発展
縄文時代後期・晩期に気候が寒冷化すると、それまで増加傾向にあった人口はどうなったと推定されているか。
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解答:減少に転じた
解説:遺跡数にもとづく人口推計によれば、縄文人口は中期にピークを迎え、後期・晩期の寒冷化にともなって減少に転じたとされる。ただしこれはあくまで推計であり、減少が顕著なのは東日本で、西日本は横ばいから増加の傾向を示す。気候変動が人口動態と直結していた点は、縄文社会の脆弱性を示す論点として出題されやすい。
27発展
縄文時代前期を中心に、海面上昇によって入り江が内陸まで入り込んだ現象を何というか。
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解答:縄文海進
解説:温暖化による海面上昇で内陸まで海が入り込んだ現象で、関東地方の貝塚の分布から当時の海岸線を復元できる。地形の変化と人々の生活圏の変化を結びつけて理解しておきたい。

コラム|歴史の裏話

アケメネス朝の「王の道」は、単なる街道ではなく、一定間隔ごとに宿駅を置き、馬を乗り継いで情報を伝える駅伝制の動脈だった。ヘロドトスによれば、サルデスからスサまで111の宿駅が置かれ、通常の旅程で90日かかったという。そしてこの制度に従事する使者たちについて、彼は「雪も雨も暑さも夜の闇も、定められた行程を全速力で走り抜くことを妨げない」という趣旨の驚嘆を書き残している。

この一節は、20世紀初頭のニューヨークに石として現れる。ジェームズ・A・ファーリー郵便局の外壁に、設計者側がヘロドトスのこの文をわざわざ英訳で刻ませたのだ。しばしばアメリカ郵便公社の標語のように紹介されるが、郵便公社自身は「公式のモットーは存在しない」と明言している。つまりこれは、誰が決めたわけでもないのに二千数百年を生き延びてしまった一文なのである。情報伝達の速度が帝国の統治能力を左右するという発想は、のちのモンゴル帝国の駅伝制(ジャムチ)にも通じる、普遍的な統治原理だといえる。

出典:ヘロドトス『歴史』第5巻52〜54節(王の道と宿駅)、第8巻98節(飛脚アンガレイオン)/松平千秋訳、岩波文庫。※宿駅111・90日はヘロドトスの記述であり、考古学的に確認された数値ではない。碑文はジェームズ・A・ファーリー郵便局(ニューヨーク、1914年開業)外壁。建築家W・M・ケンドールがG・H・パーマー訳を改変して採用した文である。

コラム|世界史 ↔ 日本史

前3000 前2500 前2000 前1500 前1000 前500 縄文中期 縄文後期 晩期 弥生 弥生開始は両説並立(歴博説 前10世紀〜従来説 前5〜4世紀) シュメール 都市国家・楔形文字の使用(前3000頃) ヒッタイトなど 鉄製武器を使用(前1500頃) アッシリア 全オリエント統一(前7世紀前半) アケメネス朝 成立・中央集権統治(前550頃) 大規模集落・環状集落の発達 環状列石・配石遺構 駆ける使者と濠を掘る人々は、ほぼ同じ頃——連載第2話 世界史(今日の範囲) 日本列島 ※横軸は実時間スケール。時代境界は概略・西暦年代は較正年代

今日の範囲を並べると、驚くほど大きな「時間差」が見えてくる。オリエントで文字と法典を備えた帝国が生まれていた頃、日本列島はまだ土器と弓矢を用いる社会だった。ただしそれは単純な狩猟採集ではない。定住的な集落を営み、クリ林を管理し、マメ類を栽培していた形跡がある。つまり列島の人々は、余剰を貯め込んで階級を生むのとは別の仕方で、豊かさを組み立てていたことになる。

この差を、大河の灌漑農業に適した乾燥地帯か、森林資源が豊かな島嶼かという生態環境の違いに求める見方がある。ただし環境だけで社会の形が決まるわけではない点には注意したい。

論述のネタ:「国家形成の早さは、生態環境がどれだけ余剰生産物の集中を許したかで決まる」——この仮説を立て、そのうえで反例(環境が許しても国家化しなかった社会)を検討する形にすると、環境決定論に陥らない論述になる。
注記:縄文各期の西暦年代は較正年代で、研究者間に差がある。弥生時代の開始年代は、土器編年による従来説では前5〜4世紀頃、国立歴史民俗博物館のAMS炭素14年代測定(2003年公表)では前10世紀頃とされ、学説が分かれる。

フィールドノート

政治人類学者ピエール・クラストルは、南米の先住民社会での調査をもとに、著書『国家に抗する社会』のなかで挑発的な議論を展開した。いわく、国家を持たない社会は国家を「まだ持てない」のではなく、権力の集中を防ぐ仕組みを備えることで意図的に国家を「持たない」のだ、と。彼の描く首長は奇妙な存在である。気前のよい贈与を絶えず求められ、雄弁に語ることを義務づけられ、しかし命令する権力そのものは与えられない。首長は権力者ではなく、共同体への奉仕者なのだ。

今日の範囲でいえば、縄文時代の環状集落——中央の広場を住居が同心円状に囲む、あの配置——は、この「国家に抗する」構造をそのまま平面図にしたように見える。中心にあるのは王の館ではなく、誰のものでもない広場なのだから。

逆に弥生時代に入ると、集落は濠と柵で囲われ、青銅器の地域的な分布圏が現れ、やがて墓の副葬品に差がつき始める。ここで反転が起こる。受験知識としては「弥生時代=階級社会の始まり」と一行で暗記してしまうところだが、クラストルの視点を借りると、それは自然な「進歩」ではない。縄文的な「権力を集中させない仕組み」が、稲という貯められる富の前で持ちこたえられなくなった過程——そう読み直せる。国家の誕生は達成ではなく、敗北かもしれないのだ。

出典:ピエール・クラストル『国家に抗する社会——政治人類学研究』渡辺公三訳(原著 Pierre Clastres, La Société contre l'État, Les Éditions de Minuit, 1974)

連載「時の回廊」第2話|駆ける使者、囲む濠

書記見習いの村から二千年以上の時を経て、ペルシアの荒野を一人の使者が馬を駆っていた。背負う袋には、王の言葉を記した書板が入っている。サルデスからスサまで、幾つもの宿駅で馬を乗り換えながら、彼は昼も夜も休まず駆け続ける——ヘロドトスが驚嘆したという、あの飛脚である。広大な帝国を一つにまとめるのは、剣だけでなく、こうした情報の速さでもあるのだと、彼は乗り換えの合間にぼんやり思う。

ほぼ同じ頃、九州北部のある低地では、水を張った田に稲が並んでいた。かつて列島の各地でクリの林を手入れしていた人々の、その末裔たちは、いま濠を掘り、木の柵をめぐらせている。稲は蓄えを生んだが、蓄えは奪われる不安も連れてきた。柵の内側で、若者が石庖丁の紐を通し直しながら、隣のムラの高い建物を遠く睨みつけている。あの櫓の上からも、こちらが見えているのだろうか。

粘土板の記録から、王の道の速さへ。クリの実りから、濠に守られた稲穂へ——両者はまだ出会わない。だが次にこの回廊を歩くとき、九州の濠の内側で、何かが動き出す。

創作コラム。弥生側の情景は環濠集落が発達する弥生中期を想定した。石庖丁は稲の穂首刈りに用いた磨製石器。「櫓」は大型建物の柱穴と絵画土器の楼閣図から復元された想定であり、性格には異論もある。

出典・典拠

本日の設問・解説は、高校「世界史探究」「日本史探究」の検定教科書レベルの記述範囲を基準に作成しています。以下は該当単元と、個別に典拠のある事項です。

世界史 — 該当単元

本号の世界史は、古代オリエント文明とその周辺(東地中海の諸民族/オリエントの統一〜アケメネス朝)の記述範囲に基づく。

日本史 — 該当単元

本号の日本史は、文化のはじまり(旧石器人の生活/縄文文化の成立と生活・信仰)の記述範囲に基づく。

引用史料

世界史の史料問題:『旧約聖書』「出エジプト記」の伝承にもとづく要約。

諸説ある事項(本日の設問で断定を避けた箇所)

人類の出現年代と系統関係、ヒッタイトの鉄器使用と「独占」説、対馬海峡の陸化、縄文人口推計とその地域差。

読み物パートの参照文献

ヘロドトス『歴史』第5巻52〜54節・第8巻98節(松平千秋訳、岩波文庫)。ピエール・クラストル『国家に抗する社会——政治人類学研究』渡辺公三訳(原著1974年)。

次回予告:世界史はインダスの計画都市とヴェーダの世界へ、日本史は水田稲作と小さな国々の時代へ。濠の内側で何が動き出すのか——「時の回廊」第3話にご期待を。
高校歴史探究・教科書レベル準拠|Day 002