地中海の東岸、ガザ地区とヨルダン川西岸をめぐる紛争は、2023年10月に始まった戦争が2025年10月の停戦合意でいったん区切りを迎え、いまは「停戦をどう定着させるか」——とりわけハマスの武装解除とイスラエル軍の撤退をどの順序で進めるか——が焦点になっています。
| 日付 | 出来事 |
|---|---|
| 2023.10.7 | ハマスなどがイスラエルを攻撃。イスラエル政府の発表では約1,200人が殺害され、約250人が人質として連行された。イスラエルはガザで大規模軍事作戦を開始 |
| 〜2025.10 | 約2年の戦闘。ガザ保健当局の集計では死者は7万人を超えたと発表(国連機関の報告でも引用され、2026年1月にはイスラエル軍もこの規模をおおむね妥当と認めたと報じられた) |
| 2025.9.29 | 米国が20項目の和平計画を発表 |
| 2025.10.10 | 停戦が発効。10月13日、生存していた人質20人が解放される |
| 2025.11.17 | 国連安保理が決議2803を採択(賛成13・反対0・棄権2〈中国・ロシア〉)。「平和評議会」を歓迎し、国際安定化部隊(ISF)の設置を承認。日本政府は翌18日に外務大臣談話で採択を歓迎 |
| 2026.1 | 停戦「第1段階」が完了したと報じられ(イスラエル側は人質遺体の未返還などを理由に異議も表明)、平和評議会が正式に発足 |
| 2026.7.30 | 仲介国(米・エジプト・カタール・トルコ)がまとめた段階的武装解除のロードマップにハマスが合意したと発表される |
| 2026.8.1-2 | イスラエル側は「真の武装解除なくして撤退はない」として提案に「深刻な懸念」を表明。実施の行方は流動的 |
最大の争点は、「ハマスの武装解除」と「イスラエル軍の撤退」のどちらを先に実行するかという順序の問題です。2026年7月30日に発表されたロードマップは、区域ごとに「武装解除→検証→撤退」を繰り返す段階的な同時進行を提案しています(米側は7〜8ヶ月規模の工程を想定していると報じられています)。それぞれの立場を、当事者自身の言葉とともに整理します。
| 立場 | 求めるもの | 当事者の言葉 |
|---|---|---|
| ハマス | イスラエル軍の撤退が先。撤退の履行が実施の条件 | 「イスラエルが(撤退の)義務を履行しない限り、合意のいかなる部分も実施しない」——交渉団のガジ・ハマド氏(2026年7月31日・Al Jazeera報道) |
| イスラエル | ハマスの完全な武装解除・ガザの非武装化が先 | 「(15項目の提案は)ガザの完全な非武装化という要求を満たしていない」——首相府声明(7月30日・The Times of Israel報道)。8月2日には「深刻な安全保障上の懸念」を米側に伝達(The Washington Times報道) |
| 仲介側 (平和評議会・米・エジプト・カタール・トルコ) | 段階的な同時進行(区域ごとに武装解除→検証→撤退) | 「ハマスとガザの全武装組織の完全な武装解除に関する歴史的な合意に達した」——トランプ米大統領(平和評議会議長)のSNS投稿(7月30日・CNN/Axios報道) |
※発言はいずれも報道で確認できたものを、立場を示す証拠として引用しています。発言の網羅や変遷の記録はこのページの目的ではありません。
交渉が続く間も、ガザの人道状況は深刻なままです。国連機関が参加するIPC(統合食料安全保障レベル分類)の2025年12月公表の分析(現状評価期間は同年10月16日〜11月30日)では、分析対象人口約210万人のうち約160万人(77%)が「危機」以上の急性食料不安にあると評価されました。フォルカー・トゥルク国連人権高等弁務官は2026年4月、「停戦の発表から半年を経ても、ガザ全域のパレスチナ人は依然として安全ではない」と述べ(OHCHR発表)、トム・フレッチャー国連事務次長(人道問題担当)は同年6月の安保理ブリーフィングに関連して、停戦は「破綻しつつある」——飢餓、ネズミ、瓦礫が日常を支配している——と警告しています(Arab News報道)。
| 機関 | 役割 |
|---|---|
| 平和評議会 (Board of Peace) | ガザ暫定統治の監督と復興・資金調整を担う国際機関。議長はトランプ米大統領、メンバーにブレア元英首相ら。2026年1月に正式発足 |
| 国際安定化部隊 (ISF) | 停戦監視・パレスチナ警察の訓練支援・非国家武装組織の武装解除・国境地域の警備・人道回廊の確保など |
| パレスチナ自治政府 (PA) | 改革の実施を条件に、将来のガザ統治への関与が想定される。決議は、改革と復興が進んだのちに「パレスチナ人の自決と国家への信頼できる道筋」の条件が整いうる、という段階的な見取り図を示す |
ガザの停戦交渉は、単独で動いているわけではありません。2026年に入り、周辺では別の戦線が大きく動きました。ここでは概観のみを整理します(それぞれの経緯は特集②・③として準備中です)。
| 戦線 | 経過(報道に基づく概観) |
|---|---|
| イラン | 2025年6月の「12日間戦争」に続き、2026年2月28日に米国とイスラエルがイランへの大規模攻撃を開始して戦争が再燃。最高指導者ハメネイ師が死亡し(イラン政府も3月1日に公式確認)、イランは域内の米軍基地への報復攻撃と、3月上旬からのホルムズ海峡の事実上の封鎖(3月27日に正式な封鎖を宣言)で応じたと報じられている |
| レバノン | 2024年11月の停戦後も違反の応酬が続き(レバノン政府は2026年1月、イスラエルの違反2,036件〈2025年10〜12月分〉を国連に申し立て)、2026年3月2日にヒズボラが攻撃を再開(ハメネイ師死亡への対応と報道)。イスラエルは大規模に反攻してリタニ川以南の大部分を占領し(一部はリタニ川を越えて北進と報道)、4月8日の攻撃ではレバノン側の死者357人以上と報じられた。4月16日に敵対行為停止の合意が成立したが、その後も攻撃継続が報じられている(6月にも死者数十人) |
| ヨルダン川西岸 | 軍事作戦と入植者による暴力の継続を国連機関が繰り返し報告。イラン戦争のさなかの2026年3月には、ヘブロン近郊で民間人が死亡する攻撃も報じられた |
※この概観は報道ベースの整理で、各戦線の詳細な検証は特集②(レバノン)・特集③(イラン戦争)で行います。ガザ停戦と各戦線の因果関係については、確立した評価がまだなく、本特集では時系列の事実のみを記載しています。
この紛争は、日本にとって遠い話ではありません。経済産業省の資料(2026年3月・財務省貿易統計に基づく)によれば、日本の原油輸入の中東依存度は94.0%、ホルムズ海峡への依存度は93.0%(いずれも2025年)。2026年のイラン戦争で海峡の封鎖が現実になると、日本政府は率先して石油備蓄の放出を決め(IEA史上最大となる合計4億バレル超の国際協調放出につながりました)、ガソリン小売価格を全国平均170円程度に抑える緊急補助も実施しています(同資料)。地中海東岸とペルシア湾の出来事は、ガソリン価格や電気代を通じて日本の生活に直結しています——1973年の石油危機で「狂乱物価」を経験した構図(③の2参照)が、半世紀を経て再び試されているとも言えます。
外交面では、日本政府は一貫して二国家解決(イスラエルとパレスチナの共存)を支持し、安保理決議2803の採択を歓迎する外務大臣談話では、ガザの暫定統治メカニズムへの人材派遣にも言及しています。国際機関を通じた人道支援も継続しています。
百年におよぶ紛争を理解するには、その前提となる土地の来歴に少しだけ触れておく必要があります。
この地中海東岸——古代には「カナン」と呼ばれた土地には、前1000年頃までにヘブライ人(イスラエル人)の王国が成立し、のちにユダヤ教が形づくられました。ローマ支配下の反乱(66〜70年、132〜135年)ののち、ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が決定的に進み、以後この土地では約2000年にわたり、ユダヤ教徒・キリスト教徒、7世紀以降はムスリム(イスラーム教徒)が暮らしを重ねてきました(11〜13世紀には十字軍国家の支配期も挟みます)。エルサレムが三つの宗教の聖地であるのはこのためです。16世紀からは約400年間、オスマン帝国の統治下に置かれ、住民の大多数はアラビア語を話すムスリム・キリスト教徒でした。
転機は19世紀末のヨーロッパで生まれます。ロシア・東欧でのポグロム(ユダヤ人迫害)やフランスのドレフュス事件を背景に、ジャーナリストのテオドール・ヘルツルは『ユダヤ人国家』(1896年)を著し、1897年にスイスのバーゼルで第1回シオニスト会議が開かれました。「ユダヤ人の郷土をパレスチナに建設する」というシオニズム運動の始まりです。以後、パレスチナへのユダヤ人移民が段階的に増えていきます——ここから、次の「百年」が始まります。
第一次世界大戦中、オスマン帝国と戦うイギリスは、フセイン・マクマホン書簡(1915年)でアラブ人の独立支援を示唆し、バルフォア宣言(1917年)でユダヤ人の「民族的郷土」建設への支持を表明し、さらにサイクス・ピコ協定(1916年)でフランスなどと中東の勢力範囲を取り決めました。互いに矛盾をはらむこれらの約束は、日本の教科書で「三枚舌外交」とも呼ばれ、問題の直接の出発点として扱われています。
大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となり、ユダヤ人移民の増加とともにアラブ人住民との衝突が繰り返されました。1947年、国連総会はパレスチナ分割決議(決議181)を採択しますが、アラブ側はこれを拒否。1948年5月のイスラエル建国宣言の翌日にはアラブ諸国側の軍が侵攻して第一次中東戦争となり、前年末からの戦闘と合わせて、国連の推計で約70万人のパレスチナ人が難民となりました(パレスチナ側はこれを「ナクバ(大破局)」と呼びます)。1967年の第三次中東戦争でイスラエルはガザ地区・ヨルダン川西岸・東エルサレムなどを占領し、国連安保理は決議242で占領地からの撤退を求めました。1973年の第四次中東戦争では、アラブ産油国の石油戦略が第一次石油危機を引き起こし、日本を含む世界経済を揺さぶりました。
1979年、エジプトがアラブ諸国として初めてイスラエルと平和条約を結びます(前年のキャンプ・デービッド合意)。占領下では1987年に住民の抵抗運動インティファーダが始まり、同じ年にハマスが結成されました。1993年のオスロ合意で、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)は相互承認とパレスチナ暫定自治に合意し、和平への期待が高まります。しかしラビン首相の暗殺(1995年)や第二次インティファーダ(2000年〜)を経て和平は停滞。2005年にイスラエルはガザから撤退しますが、2006年の選挙でハマスが勝利し、2007年からはガザをハマスが、ヨルダン川西岸をパレスチナ自治政府(ファタハ主導)が治める分裂状態となりました。以後、ガザは長期の封鎖下に置かれ、断続的な武力衝突が繰り返されます。2012年には国連総会がパレスチナを「オブザーバー国家」に格上げしました。
2023年10月7日の攻撃に始まる戦争は約2年におよび、ガザの人道状況は国連機関が繰り返し警告する深刻な水準に達しました。2025年10月の停戦合意、11月の安保理決議2803による国際的枠組みの始動を経て、現在は武装解除・撤退・復興・統治のあり方をめぐる交渉が続いています(①参照)。
ガザ地区は種子島(約444km²)よりひとまわり小さい約365km²の細長い沿岸地域に、200万人以上が暮らす人口密集地です。ヨルダン川西岸とは地理的に分離しており、この「二つに分かれた領域」という条件が、統治の分裂(③の3参照)や移動の制限といった現在の問題の背景にあります。エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラームの聖地であり、その帰属は最終的地位交渉に委ねられたまま、現在も未解決の争点です。
| 時代・単元 | 定番事項 |
|---|---|
| 帝国主義の時代 | ドレフュス事件/ポグロム/ヘルツルとシオニズム(第1回シオニスト会議 1897) |
| 第一次世界大戦 | フセイン・マクマホン書簡/バルフォア宣言/サイクス・ピコ協定(三枚舌外交) |
| 戦間期〜冷戦 | パレスチナ分割決議(1947)/イスラエル建国と第一次中東戦争(1948)/スエズ戦争(1956) |
| 冷戦期 | 第三次中東戦争(1967・占領地拡大)/第四次中東戦争と石油危機(1973) |
| 現代 | キャンプ・デービッド合意/オスロ合意(1993・パレスチナ暫定自治)/インティファーダ |
| 日本史・政経 | 石油危機→狂乱物価・高度経済成長の終焉(1974年に戦後初のマイナス成長) |